ゆったりcg独学研究所。



3Dcgと手描きの違いについての考察
年末に今晩は。
同じ事を3回書く事になります。
まとめブログなんかで3Dと2Dの話題があったりすると、皆の意見をじっくり読んでから、ぼそっと書き込んだりしてました。
その過程で少し思いついた事があったので、今回はその事について書こうと思います。

 参考動画

ついこの前にLive2D Euclidなる物の新バージョンが話題なっていて、
全周からズレ無く顔の形状が表示される技術が披露されていました。
これ自体はとても素晴らしいもので、3Dを見慣れた方にはわかるように、ポリゴンにテクスチャを貼り付けただけじゃ角度によっては平坦で潰れたように見える事がありますね。
ニコニコ動画によくあるMMD等を見るとよくわかります。
その記事のコメントを見てると、2D(手描き)がいらなくなる。
なんて断言したコメントもあるわけですが、
Live2Dのサンプルを見ても3D独特の違和感が消え去っていないわけです。
それも当然でLive2Dは表情、顔に特化していた物だからです。
そしてイラスト質感を3Dに貼り付けてそのテクスチャを動かす一つの手法だからですね。
この3D特有の違和感がどこから沸き上がるのかを、私は製作過程での違いで生まれる物だと考えました。
前回の日記で書いたように3Dはポリゴンで板状の造形を作り、
ボーンという支柱を設置します。
そのボーンを軸として周りの板を引っ張って動かすのが3Dの基礎的な操作方法です。
一方手描きは一枚の絵を描きます。
絵にも勿論、支柱(軸)を想定し、枠である絵を描いていきます。
手描きは軸と枠が機械的に分離しているため、どうやっても次の絵を描いた際に誤差が生じるのです。
そして軟体的に描き分けて形状が大きく変化します。
3Dは機械的に軸と枠(ポリゴン)が結び付けられているため、とても綺麗に引っ張ってきます。
この枠を引っ張る制作過程が、3Dと手描き2Dの根本的な壁ではないかと考えています。
Live2D・AfterEffects等にある擬似アニメーションの手法があります。
あれはテクスチャを平行移動させるのですが、この平行移動をさせるとアニメーション特有の動きの面白さが大きく損なわれるのが見てわかります。
枠と軸の結びつきが機械的に正確に強くなるため起こる現象ではないでしょうか。
それでも、より細かく手間をかけて動かせば、通常アニメーションに近づく物が出来るのも承知しています。

3Dに2Dアニメーションの良さを引き継ぐ為には、
枠の引っ張り方を工夫すれば良いという仮定が出来ました。
3Dの枠を動かす、引っ張り方にはいくつか方法論がある事でしょう。
例えば、皮膚や服の物理シミュレーション。
これはとてもリアリティのある表現が出来る計算です。
手付けで動かす、テクスチャの張替え、フィルターを活用する。
2つのポリゴンの中間に移動し、粘土のように融和する機能もあったりします。
これらに共通することは、枠を更新するという事です。
枠に動きをつける事で枠の硬質さを取り除くのです。
ただここで問題になるのは、3Dソフト特有の平行移動をしてはいけないという事です。
ポリゴンを右へ左へと大雑把に動かすだけでは、結局、軸と枠の関係を切る事が出来ません。
より細分化して動かすことでごまかす事は可能かもしれません。

実は改善の方法論はまだ思いついていません。
3Dの軸と枠の結びつきを突破する方法論が見つからなければ、
2Dアニメ特有の面白さを再現する事は無いというのが結論です。

あるまとめ記事でロトスコープについて討論していました。
ロトスコープは実写の上から手描きトレースすることです。
人間の複雑な動きを正確に描写するのでとてもリアリティのある動きのぬるぬるとした物が出来上がります。
ロトスコープは手描きトレースなので、枠と軸はズレます。
スローモーションで人間を見るとわかるように、
実写の人間も実は枠(皮膚や骨の歪み)の揺れが生じていて、3Dcgよりも柔軟性があります。
実写も枠と軸のズレが多少ながら生じていると言っていいでしょう。

ここに私の好きな吉成鋼さんMADがあります。
このワンシーンにロボットが出てくるのですが、3Dと錯覚する程の出来栄えです。
これは極限まで枠を硬質化させたからこそ起きる現象なのでしょう。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm480920

何の話してるのかわからなくなってきましたが、
簡単に言うと「全部もっと動かせ」という単純な事なのかもしれません。
3Dだとボーンで移動して動かしてるので、「これ以上動かさなくていいでしょ?」となってるのかもしれない。

-----追記
稀に3DCGをトレースして手描きアニメーションを作る人がいます。
これが実に面白くて、
元は3Dなんですが、手書きの為に枠と軸が切り離され、
ロトスコープのようなアニメーションが出来上がる事があります。
参考動画にも、一部に3Dが使われてるそうで、
少なからず変化が生じているような 気 がします。
3Dの上から手塗りしてるのかなー。よくわからない…。
contradict: 雑記 | - | - |
3Dアニメの連続性
4Gamerさんの少し前の記事で制作会社サンジゲンさんの興味深い話が載っていました。
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20121227019/
リミテッドアニメーションについてのお話があるんですが、

「もちろん,いろいろな試行錯誤を繰り返しましたよ。実際,リアルな質感でリミテッドアニメーションを作ってみたこともあったんですが,もう全然駄目でした。止まって見てるというか,死んでるように見えてしまう。カクついているというか,もう単純にコマ落ちしているだけに見えてしまうんですよね。」

という一文が凄く気になりました。
3DCGは連続的にレンダリングしていくため、60フレームでも120フレームでも細かく描写出来ます。
その画像一枚一枚の繋がりが正確な為、コマを少なくすればカクついて見えるわけです。
前回の日記で書いたように、ボーン(骨組み)を使って動かすのが3DCGの基本なのでモデリングがとても硬いわけです。
もし、これを2Dアニメに似せて一枚一枚トレースして3DCGに置き換えたらどうなるだろうか。
勿論手間はかかるけれど、違和感が無くなるんじゃないだろうか?
トレースはボーンでポーズ合わせるだけでなく、一枚一枚表面の歪みも合わせてみる。
これで3DCGの違和感が無くなったとしたら、
3DCGの正確な一枚一枚の連続性が違和感の原因だと特定できる。
2Dだって3Dだって、最終的には二次元の画像に出力されるわけですから、色彩の細かさが原因ではなく、画像前後の正確性、物体の硬さじゃないかと最近考えています。

考えてるだけで、実験はしてないんですけどね!
contradict: 雑記 | comments(0) | - |
3Dアニメと2Dアニメの違い
アニメ見ながら思いついた事をメモしておきます。
最近の3Dアニメは質も上がり、2D風にする質感は各社かなり向上しているのがわかります。
プリティーリズム・ディアマイフューチャーという子供向けのアニメなんて特に質感が上手です。
けれど未だに改善していないのは3D独特の硬さです。
3Dは光を細かく正確に計算するため、とても綺麗に描写されます。
その為、ほぼズレが起きません。
このズレがとても重要だと考えていて、
2Dアニメーションではその辺りをとてもよく理解しています。
単に動画枚数を増やしてヌルヌルするだけでなく、
手書きのモーションブラーや、服、形状の歪みを絵として盛り込みます。
目で見てわかりやすく例えると、
3Dは海外のコミック風で、2Dアニメは日本の漫画に近い表現方法を使っています。
海外のコミックを見ると、絵画のように繊細な色使いで描かれています。
けれど、小説の挿絵のようにピタっと止まってるように見えます。
どのページを見てもほぼ止まっています。
3Dにもこれに近い感覚がして、ズレ、歪み等がほぼ皆無な為、
硬質的な印象を持ちあまり楽しくないのですね。
単純にモーションブラーでぼかせば良いと言うわけでもなく、
よく出来たゲームや、アニメでの2D演出はエフェクトを多用する事でより躍動感のある映像に挑戦しているようです。
ゲームのNARUTO等はとてもよくできてると感じてコマ送りで見てましたが、
エフェクトを使いアニメ漫画らしく作り上げていました。
けれども足りない部分はモデリングの硬さにあります。
ボーン(骨組み)を使って動かす3Dアニメーションにこの歪みをつけるとすると、
多大な労力が発生する事になります。
キャラクターのモデリングに手を加え、部分的に消して形状を変化させた新たなモデリングに差し替えたりする必要が出てくるでしょう。
物理シミュレーションによる皮膚の柔らかさを追加するだけじゃ足りないのではないかと思うのです。

ここからは愚痴ですが、よく作画崩壊なんて突っ込みをいれる方が居ますが、
単純に質が低いのではなく、明らかに意図的な歪みを表現してるアニメがあったります。
何もわかっていない。
その歪みを完璧になくしたのが大して面白くもない今の3Dアニメーションなのです。
contradict: 雑記 | comments(0) | - |
宇宙は何故、人間にとって都合よく出来ているのか
面白かったので抜粋してみました。
一部、収縮だとかわからない用語が出ると思いますけど、是非読んでみて下さいね。

 人間原理の宇宙観

まるで人間を生むことを目的とするかのように、宇宙のすべてが精密に調整されているのは、なぜか。
「それは、神の思し召しなのだ。人間を生みだそうとする神の意思が、宇宙のすべてを調整したのだ」
これでは、近代科学が登場する以前の世界観に逆戻りしてしまいます。
ならば、こう考えてみては、いかがでしょうか。
もし、宇宙のなかにある物質やエネルギーの量が多くて、膨張に急ブレーキがかかり、あっと言う間に収縮に転じていたら。逆に、物質やエネルギーが少なくて、宇宙がずっと速い膨張を続けていたら。
あるいは、陽子と中性子を結びつける力が、今より少し強かったり、少し弱かったりしたら。
こうした宇宙において、人間が生まれてくることは不可能です。
人間が生まれないのですから、人間がそうした宇宙の存在を認識することもありません。
人間が宇宙を見て「この宇宙は人間にとって、都合が悪くできているなあ」と思う状況は、当然発生しないのです。
つまり、「宇宙はなぜ、人間にとって都合よくできているのか」という問いに対する答えは、「それは、人間がいるからだ」というものになる。
こうした考え方を人間原理といいます。
人間がいるから、の「から」は、人間のために、とか、人間に合わせて、という意味ではありません。
「人間を生んだ宇宙」にいる人間が宇宙観測する以上、宇宙は当然、人間を生む条件を整えている、と言う事です。

宇宙が人間にとって都合がいいのは、人間がいるから。
このように説く人間原理は、世間ではしばしば、その本質をゆがめられて伝えられています。
人間のために、人間に合わせて、宇宙のすべてが整えられている、と唱える説だと誤解されているのです。
そのため、宇宙に人間が生まれたのは、神の大いなる意思に基づく、必然の出来事だったのだ、
などと言う非科学的な方向に話がずれてしまいます。

人間が宇宙に生まれたのは、偶然かもしれない。でも、私たちが宇宙を見ると、宇宙は私たちを生みだすべく設計されているかのように、必ず見える。
ここに、偶然を必然に変えるからくりがあるわけです。


大宇宙・七つの不思議 佐藤勝彦・監修 より抜粋

せっかく打ち込んだのに、
GoogleBooksに全て載っていると言うこの悲しさ。
ページ載せ過ぎ!

GoogleBooks スキャン画像


contradict: 雑記 | comments(0) | - |